2017/3/19
●明延鉱山
●神子畑選鉱所
●口銀谷銀山町
[温泉]よふど温泉…600円
[宿泊先]道の駅あさご(★★★☆☆)
今日はこの旅の目的である産業遺産巡りへ。まずは養父市経由で明延鉱山へ。近代日本の鉱山開発をリードした明延・神子畑・生野の三鉱山を結ぶ一連の産業遺跡で、「鉱石の道」と呼ばれている。重厚ながらも、どこか懐かしさ漂う廃墟群は見ごたえ十分!近年は近代化産業遺産にも認定されたそう。
明延鉱山
明延鉱山は、奈良東大寺の大仏鋳造に産出した多量の銅が献上されたとの伝承も残る歴史の古い鉱山。1900年に錫の鉱脈が発見され、1987年に閉山するまで国内の錫の9割以上を産出する「日本一の錫の鉱山」として生野鉱山などとともに、日本の高度経済成長を牽引した。坑道の総延長は新幹線東京~大阪間に匹敵する550kmにも及ぶそう。
坑道はガイドと一緒でないと入れないが、予約が必要な上、二人ではガイドしてくれないそうなので今回は断念。明延鉱山と柚子畑選鉱所間を1円で運行していた1円電車や共同浴場など、当時の建物などがあちこちに点在しているので車を置いて町を散策。明延地区には最盛期、鉱山従業員やその家族など4,000人が居住していたそうで、当時のレトロなタバコ屋さんの看板など閉山した今でもにぎわいの名残を各所に見ることができる。
神子畑選鉱所
明延鉱山から山を大きく迂回して40分ほどで神子畑選鉱所へ。稼働していたころは明延鉱山~神子畑選鉱所の山を全長5kmにも及ぶトンネルでぶち抜き、トロッコを走らせて鉱石を輸送していたとのこと。
神子畑選鉱所は1878年の鉱脈再発見により、生野鉱山の支山として稼働。1917年に閉山したが、その後、明延鉱山で採鉱された鉱石の選鉱場になり、最盛期には東洋一の規模を誇った。1987年、円高の急激な進行で競争力を失った明延鉱山の閉山に伴い、本選鉱場も操業を終了し閉鎖した。
閉鎖後、建屋はそのまま残っていたそうだが残念ながら2004年に撤去・解体され、現在はひな壇状に22段構成となっていた鉄筋コンクリートの基礎構造物と、選鉱所の上下を結んでいたインクライン跡、選鉱最終行程の脱水・濃縮を行っていたシックナーが残るだけとなっている。中には入れないようになっていたのが残念だったが、規模もかなり大きく見応えはあり。建屋がまだあるときに来たかった。生野銀山から移設されたムーセ旧居が隣接していて、資料館になっている。
口銀谷銀山町
生野銀山も行きたかったが入場料が高いし、他にも多田銀山なども見たので今回は町を散策するだけにすることに。口銀谷銀山町は銀山の町として栄えた歴史的な町並み景観が色濃く残っている地区で、当時の邸宅や洋館などが点在している。これらの邸宅は資料館などとして運営しているものもあるが、ほとんどは住居として現在も使われている。どの家も昼間は観光客に開放しているようで入口からのぞいていると招き入れてくれ、歴史を語ってくれる人が多かった。観光客があまり来ない(?)ためか、町の人はみんな親切で歩いていると声をかけてくれたり、ポケモンGOをしながら神社を案内してくれたおばちゃんもいた。ちょうど私たちが行ったときは旧暦のひな祭り(4/3)の前だったので、どこの家でも立派な雛人形を飾っていたのが印象的だった。町の人の話を聞いていると「生野銀山はぜひ見て行ってほしい!」という人が多かったので、せっかくここまで来たし明日の姫路へ行く予定を変更して代わりに生野銀山へ行くことに決定。