2018GW2日目:バラエティ溢れる廃墟巡り

2018/5/3
●片島魚雷発射試験場
●針尾送信所
●西海橋水族館
●石原岳森林公園
●池島…フェリー2,420円(車5m未満)、大人一人410円
●炭鉱ツアー…2,680円/一人
【温泉】池島東浴場…100円
【宿泊先】池島開発総合センター近くの空き地

道の駅 彼杵の荘にある古墳を見てから出発。今日からは晴れ予報。

道の駅に住み着いているにゃんこ。右のにゃんこはスタッフのおばちゃんに朝ごはんを大声でおねだり。おデブなわけだ

うまく隠れてたつもりが見つかってしまいドキドキ…

子供の頃に飼っていたにゃんこと同じ前足が片方ないにゃんこ。人懐っこくてかわいかった

片島魚雷発射試験場
【概要】佐世保鎮守府が開庁されて間もなく、海軍工廠が佐世保湾の北岸に開設され、この工場で製造される魚雷を実地に発射実験するために1918年片島に魚形水雷発射試験場が設置された。発射した魚雷の進行状況を頂上の観測所から観測し、性能試験を行ったそう。

半島の突き当りに車を停めて試験場へ。海側へ行く道と山頂へ行く道があり、山頂の方へ行ったら監視塔があった。海側に降りると魚雷収蔵施設と発射台と監視所。魚雷収蔵施設は天井が崩れ落ち、木が茂っていた。ちなみにここではコスプレイベントや竹灯籠祭りが開催されるなど、新たな名所となりつつあるそう。

海側に抜けている(いた?)と言われるトンネル

監視塔



魚雷収蔵施設



発射台。トロッコ跡もあった



監視所。道が崩れ落ちて今はたどり着けなくなっている

針尾送信所
【概要】針尾島にある海上保安庁の無線送信所。巨大な3本のコンクリート製の電波塔、針尾無線塔は大正時代より建つ自立式電波塔としては高さ・古さともに日本一とのこと。電波塔の高さは、1号及び2号塔が135m、3号塔が137mで、基部の直径は約12m、厚さは76cm。3本の配置は約300m間隔の正三角形となっている。日本海軍佐世保鎮守府隷下の無線送信所として、1918年11月に着工、1922年に完成。終戦後はしばらく米軍管理地だった。

針尾送信所へ向かって車を走らせていたらいきなり巨大な3本の煙突のようなものが目の前に出現。電波塔の中を公開しているそうで着くと数人の先客がいた。係のおじさんが丁寧に説明してくれ、電波塔と電信室を見学。とにかく巨大ですごかった。

遠くからでもこの存在感

電波塔


電波塔内

電信室

西海橋水族館
めずらしい水族館の廃墟。公園から行く方法とコラソンホテルから藪をかき分けて行く方法があるみたいでたどり着けるか心配だったが、公園からのルートは釣り人も使っていようで簡単にたどり着くことができた。着いたら釣りをしている地元の人と小魚を狙う猫がいてのんびりとした雰囲気。しばらくイルカプールや海を観察してから水族館へ。2階建ての小さな水族館で1958年開館、1988年閉館。人的破壊がひどく、中は荒れ放題。2階は床が抜け落ちそうでかなり危なそうだった。

西海橋水族館と魚待ちの猫たち





2階からも覗くことができたメインの水槽


2階は床が抜け落ちそうで危ない



コラソンホテルへ行くルートで車まで戻る途中、藪の中に埋もれるように斜面を上り下りする小型モノレール(スロープカー)があった。下は船着き場で当時はハウステンボス行きの船が出ており、その乗船客用だったらしい。
ハウステンボスへ行く船へ繋いでいた小型モノレール

右下に西海橋水族館が埋もれている

石原岳森林公園
明治時代に建設された保塁(要塞)跡地をそのまま活かした史跡公園。堡塁や砲台跡があり、和歌山の友ヶ島に似ている。弾薬庫や小部屋がいくつもあり、中は真っ暗。地下塁道入口をどんどん進んでいき、周りを懐中電灯で照らしてみると奄美大島でも出会ったあの身の毛ものよだつほど気持ち悪い巨大ゲジゲジがあちこちにはりついている…。そしてなんと天井からときどき落ちてくる!あんなのが背中とかに落ちてきたらと思うと…。

石原岳森林公園

弾薬庫


折り重なって寝るコウモリたち

池島1日目
【概要】第二の軍艦島と呼ばれる池島は九州で最後まで残った炭鉱の島。現在も人が住んでおり、人口は157人。
池島の炭鉱開発は1952年10月、松島炭鉱株式会社により着手され、1959年10月より営業出炭を開始。島の人口は最大時には7,776人を超え、出炭量153万トンに達したそう。他の炭鉱が次々と閉山する中、国の石炭政策のもとで最後まで生き残りを図ったが、経営維持が困難となり2001年11月29日に閉山した。

石原岳森林公園を後にし、神浦港へ。池島の唯一の宿泊施設「池島中央会館」を予約していたが、車を持っていき車中泊する方が安いし、島も効率的にまわれるためフェリーに車を積み込む。15分ほどで池島到着。早速炭鉱ツアーへ。池島開発総合センターで炭鉱概要の説明を受け、トロッコ電車で入坑。中は当時のままで実際に使っていた重機を動かして見せてくれたりしておもしろかった。ちなみにガイドは実際に炭鉱で働いていたなまりが強いおっちゃんだった。

車をフェリーに積んで神浦港出発!

トロッコ停留所と奥は選炭工場群

トロッコに乗って炭坑ツアースタート!

炭坑内の様子

長崎弁で説明してくれるおっちゃん

実際に使っていた重機

2001年の閉山後、海外研修生が掘っていた炭坑。ここで行き止まり


港に停めていた車に戻り、島をドライブ。一周約4kmの小さな島なので歩いてもまわれるが時間に限りがあるのでやっぱり車で来てよかった。有名な8階建社宅を見学し、そのまま奥に行くと第二立坑の入り口に行き着いた。第二立坑は炭坑に降りる入り口と事務所がある。当時の炭鉱夫たちも8階建てアパートからここに毎日通っていたのだろう。
池島港浴場と公営住宅。ここの公営住宅はまだ人が住んでいる


1週間前に生まれたばかりのヤギの赤ちゃん


ごはん待ちのにゃんこたち

池島鉱業所

8階建てアパート

第二立坑のゲートは有刺鉄線が張り巡らされ、立ち入り禁止になっていたが、それを乗り越え中へ侵入。運よくドアも開けれたので事務所内を見ることができた。中は繰り込み場や作業を終えて真っ黒になった男たちが多いときには200人くらい一度に入浴した大浴場や管理室、研修室などがあり、当時のそのままの状態になっていた。資料や計器類など残留物がそのままで突然人がいなくなったような不思議な雰囲気に包まれていた。ちなみに2001~2008年まではインドネシアやマレーシア、ベトナムなどの海外研修生がここで研修していたそうでマレーシア語やベトナム語の表示があちこちにあった。
ゲートを乗り越えて第二立坑へ

第二立坑の女神像


坑夫用大浴場


事務所従業員用の浴場


管理室






海外研修生の展示室

入坑口

これに乗って地下まで行っていたそう


炭坑作業をするための様々な計器類を置いている部屋

研修室


3階の研修室

2時間ほど第二立坑内を散策し、外に出るとちょうどスコールが来るところだった。風もきつくコンロが使えなさそうだったので、かあちゃんの店で夕食を食べようと行ってみるがGWのためか今日も明日もお休み。ちゃんぽんがおいしいと聞いていたのに残念。スコールをやり過ごし、島全体が見渡せるという四方岳へ。池島神社脇のめちゃくちゃ急な坂道を登って山頂へ行くが、なんと草が伸びすぎていて全然見えない…。あとから来た女性も残念そうに引き返していった。山頂脇にたぶんもう使っていない古そうなタンクがあり、はしごがついていたのでそれによじ登って撮影。
スコールが来る前に脱出!

母子島と大角力

アーバンマイン工場

選炭工場群

ジブローダー

8階建てアパートの裏側。エレベーターがないため、5階以上に住んでいる人はここから出入りしていたそう


「御安全に」。第二立坑へ続く通勤路

帰りは「御苦労さん」

四方岳タンク上からの眺め






かあちゃんの店の裏手にある池島寮の内部


銭湯が20時半までなので池島東浴場へ。池島には営業中の銭湯が2つと廃墟になっている銭湯も他にあり、なぜかやたらお風呂が多い。たった100円の入浴料ででシャンプー、リンスも貸してくれる。女風呂の方は同じつくりの浴槽がパーテーションで仕切られて二つあり、一つは物置化していた。パイプむき出しの普通の銭湯とは違った趣でおもしろかった。ちなみになぜ二つあるのかと聞くと当時の炭鉱夫は事務所内の大浴場を使うことが多く、他の銭湯はあまり使わないので女性用の方を大きくしたのだそう。
池島東浴場




夜は風もきつすぎて自炊できなかったので、パンで夕食。港エリアはまだ住んでいる人がいるのでいくらか明かりはあったが、星がきれいに見えた。

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